大人になってから気づいた価値観の「鎖」

大人になってから気づいた価値観の「鎖」

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2018.4.12(木)

母と娘の関係

大人になってから気づいた価値観の「鎖」

専業主婦の母に与えられていたもの

私は、専業主婦の母に育てられました。
学生時代は教職を志していたそうなのですが、大学卒業直後に父と結婚することになり、「家庭と仕事を両立できる器がない」と、泣く泣く子どもの頃からの夢を諦めたのだと聞いたことがあります。

そのことを後悔しているといったことは聞いたことがありませんが、どれほどの葛藤があったのだろうと、これまでも何度か考えてきました。

そんな母は、良妻賢母であったのだと思います。
小学生の頃は、学校から帰ってくると、パウンドケーキやクレープなど、手作りおやつが用意されているのが当たり前でした。

毎日のように遊びに来ていた友達に、「いつも手作りのお菓子が食べられるなんていいね」と言われるのが、どこか誇らしかったのです。
学校から帰ると毎日母がいて、鍵っ子になることもありませんでした。

夏休みなど、長期休暇には自治体主催の子ども向けイベントなど、さまざまなところに連れて行ってくれました。

「夏休みが来る時に、嫌だなあというお母さんたちの気持ちが、お母さんはわからない」と、昔母は言っていました。
「今年の夏休みは何をしよう?どこに連れて行こう?そう考えているうちに、毎年あっという間に休みは終わっちゃっていたから」と。

宿題も見てもらえていましたし、私や妹に、母は本当に惜しみなく時間を割いてくれていたのだと、大人になった今、思います。

真面目な母だったので、思春期にはそれなりにイラつくこともありましたし、反抗もそれなりにあったと思います。
それでも、幼い頃から絵本を毎日読み聞かせてくれ、毎日品数の揃った食事を用意してくれた母の元で育った子ども時代は、幸せなものであったと思っているのです。

価値観の相違に縛られる

ただし、これはあくまでも「専業主婦の母」だったからこそ実現できていた暮らしであったのだと、私自身が母親になった今、ひしひしと感じています。

私は働く母親です。
幼児の息子二人を抱え、仕事で家事育児への協力はほとんど望めない夫と4人暮らし。
日々の生活はワンオペで回しています。

そうすると、どうしても子どもへ使える精神的余裕・時間的余裕が減ってしまいがちになってしまうのです。
世の中には、すべてのバランスをうまく取れるお母さんもたくさんいますが、私はどうしてもそれが苦手。

ましてや、娘ふたりを育てた母とは違い、私の子どもたちは聞く耳を持たない息子二人。
何かひとつをやらせるのにも、自分の子ども時代と比べて、段違いに親の負担が大きいように感じています。

言い訳がましいかもしれませんが、仕事と育児でいっぱいいっぱいになってしまい、家事は最低限になってしまっているのが現状です。
育児ですら、満足にできているとはいえないでしょう。

実家は遠いため、この現実を母はきちんとは知りません。
「大変そうだな」ということだけは、思ってくれているようです。

しかし、私は絶対に母に現実を伝えられないでしょう。
母の言葉の端々から、「母親は子どもを最優先にすべし」という価値観を感じるからです。

「仕事はほどほどにね」と言われたこともあります。
「子育てで大変なんだから」と。

言っている意味はわかるのです。
母は仕事よりも家庭を優先させてきました。

多くのケースで代替可能な仕事よりも、ひとりの人間を育てることに意識を向けるのは、親として当たり前だという意識は、私の中にも根付いています。

それでも、そのようなことを言われ、「働いていても、ちゃんと家事や育児もそれなりにやっているんでしょ?」という前提で話をされてしまうたび、きちんとできていない自分を目の前に突きつけられるような気がして、私はいつも辛くなります。

結局、どれだけ仕事をがんばっていたとしても、母としてできていなければ、失格になってしまうような、そんな気がするのです。

今の時代は、働きに出る人母親が多くなりました。
実際には仕事がしたい気持ちが先にあるわけではなく、家計のために働かざるを得ない人も多いことは、周りのママを見ていて感じています。

私もそのひとりです。
しかし、せっかく働くのなら、仕事でステップアップしたいですし、結果を出したいと思っています。
そういう思いが芽生えたのも、また事実なのです。

そのたび、家庭や子どものために夢を選ばなかった母の姿がちらつきます。

私は、「私」を優先させているのではないか。
今しかない子育てではなく、自分のことばかりに意識が向いているのではないか。

そうした思いと、「いやいや、子どもたちのためにも働いているのだから」という思いに板挟みになるのです。

どうしても、帰省や電話で母と話すときには、「家事や育児もがんばっている私」を演じてしまう私がいます。

「手を抜いているよ」とは話しているけれど、それも、「このラインまでなら笑って会話ができるよね」と考えながら話しているのが事実。

両立で悩むときも、母には愚痴を言いません。
「なら、仕事を減らせばいいでしょ?」と言われるのが目に見えるからです。

子どもの頃はさほど縛りがなかったのに、大人になり、母と同じ母親になってから気づく鎖もあるのですね。

母が悪気なく発言する中に見え隠れする「良い母像」は、これからもチクチクと私を刺すのでしょう。

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